東洋紙工式会社 代表取締役 田村耕作

小売り・販売よりも物づくり

 大阪府四條畷市。住宅街の目の前に大きなダンボール工場がある。東洋紙工株式会社だ。
 社長は田村耕作さん。初めてお会いしてから今日まで、とにかく笑顔が優しい印象がある。
 東洋紙工株式会社は昭和36年に田村さんの父親が創業。昭和40年に法人化した。
 学生時代は龍谷大学文学部に在籍。当時はデパートやスーパーへの就職が盛んな時代。父親の仕事を継ぐ気はなく、興味は小売業や販売にあった。
「今でも何故かといわれれば分かりません。父の働く背中にひかれたわけでもないんですが、気が付いたら物づくりにやりがいを感じるようになっていました。父の会社もあるし、それならばこの業界で働こうと思ったんです」
 販売の前には必ず製造がある。作ることにやりがいを感じた田村さんは、父の仕事を継ぐことを決心する。物づくりの仕事は他にもあったが、小さな商品から大きなものまで共通するのは梱包。ダンボールはどの業界にも欠かせない存在だ。
「いろんな業種と繋がれる」
 その思いから田村さんの物づくり人生はスタートする。
 大学を卒業した春、業界を学ぶべく当時の仕入れ先である製紙会社に入社。そこで本社勤務を2年、工場勤務2年の経験を経て平成2年に父が社長を務める「東洋紙工株式会社」に入社した。26歳だった。
 最初から重要なポストにいたわけではない。まずは顔を憶えてもらうために営業としてお客さん周りをした。
「実家を継ぐ」といった時、先代は特に表情をかえなかったという。周りからは「お父さん、本当は喜んでいるんじゃないかな」といわれたが、先代はその素振りを見せなかった。
 お客さん周りは地道な仕事だ。同時に、いずれ社長になる田村さんにとって、すべてに通ずる大切な仕事でもある。「まずはお客さん周りから」は喜びを見せなかった先代の想いやりだったのかもしれない。

決して順風満帆ではない会社経営

 梱包・搬送に欠かせないダンボール箱は多くの業界で必要とされる。40年来のお付き合いがあるのはエアゾール業界。スプレーを入れる箱の製作だ。
 ただ、時代はどんどん移り変わる。以前はタオルやカーペットの繊維業界との付き合いが多かったが、家電製品の時代が来たかと思えば今では化粧品類のダンボール製作が多いという。
 ところがコロナで経営は揺さぶられる。日本のコスメは世界的にも有名だが、コロナによるインバウンド減少で化粧品の売り上げが減っている。商品が流通しなければ当然ダンボール箱の需要も激減。需要度の高いビールや農作物のためのダンボールはデザイナーや職人を持つ大手会社の独壇場で、町の小さな工場では太刀打ちできないのが現状だ。
 そんな中、市役所からオファーが来た。
「ダンボールで飛散防止のパーテーションを作ってほしい」
 要望があればもちろん作る。しかし今までになかった商品だ。同業他社の似た商品を見てみると500円から2800円ほどと値段はピンキリ。田村さんは迷うことなく500円の値段をつけた。利益なはい。ほぼ材料費である。
「コロナという未知のウイルスによる不況はみんなが助け合う時。儲け一辺倒にはしたくない」
 儲けにならない仕事。それでも決して妥協はしない。
 ダンボールの強度の秘密はその断面にある。紙と紙の間に張り巡らされた波上の紙が段ボールの強度を左右する。この三角形が小さければ固くなり、外からの衝撃を防ぐのに役立つ。一方、三角形が大きければクッション性が増し、積み上げる時の強度が増すのだという。
 田村さんはこのパーテーションを敢えて写真のように異なる強度を持つダンボールで作った。

 

ダンボールに施された小さな工夫

 周知の通り、ダンボールは水に弱い。一つの強度のダンボールで作るパーテーションは湿気やエアコンの影響で曲がってしまう。ところが二つの別の強度を持つ二枚を組み合わせるとお互いが拮抗し、曲がりにくくなる。東洋紙工株式会社のパーテーションは四條畷市で大人気だ。今では市役所から災害用のベッドを作ってほしいとの依頼も来ているという。

梱包以外から活路を見出す

 田村さんの逆転の発想はまだまだ止まらない。
 誰もが小さな頃に紙相撲をした経験があると思う。小さな土俵で紙で折った力士が向かい合い、子どもが一生懸命土俵を叩き、その振動で力士が動き、勝敗を決する。楽しい思い出だが、迫力という意味では物足りない。
 それを1メートルサイズのダンボールでやってみてはどうか。
 子どもたちは迷路が好きだ。その迷路をダンボールで作ってみてはどうだろう。
 それらのアイデアはすぐに採用され、はねだ江戸まつり(羽田国際線ターミナル)やイオンモール姫路リバーシティーでイベントが行なわれた。また、堺市の大仙古墳のイベントでは古墳作成キットで盛り上げてみせた。

古墳作成キット
大盛り上がりの紙相撲(HPより)
ダンボールめいろ(HPより)
他にもさまざまなダンボール商品が並ぶ

還暦を目前にして思うこと

 梱包で利用されるダンボールは当然大量生産されるのが当たり前。少ない枚数を発注しようにもロット数はそこまで少なくは設定されていない。しかし昨今、大量生産ではなくオンリーワン商品が注目されるようになった。
「今は1個づくりのダンボールに力を入れたいと思っています。大阪には特殊なもの、特注品、試作品、別注品が多い。そんな商品にもきちんと対応できるよう、たった1つのダンボールからでも作れる機械を導入しました」
 新しいことに挑戦し続ける田村さん。では一体いつが引退の時なのか。
「まもなく還暦を迎えるのですが、65歳での引退を考えています。でもまだ後継者が育っていないからどうなることか。ただ、いずれにせよダンボール自体は好きなので、いつまでも触っていたいですね」
 社員が会社を継ぐかもしれないし、もしかしたらかつての自分のように息子が仕事を継ぐかもしれない。その時に備えてなのか、あるいはダンボールと関わっていたいという自身のためか、田村さんの思いは色褪せない。時代に沿った戦略でこれからもダンボールを作り続けてくれるだろう。
 リサイクルの優等生といわれるダンボールはSDGsの点でも優れており、素材の需要は今後もなくなることはない。箱以外の用途でも「こんなの作れますか?」というアイデアがあれば是非とも東洋紙工株式会社を訪れてほしい。必ず力になってくれる田村社長は、もちろん今日も飛びっきりの笑顔だ。

東洋紙工株式会社
大阪府四條畷市西中野1-11-32
072-878-5541
https://www.toyoshiko.jp

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この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

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