株式会社 角田工務店 代表取締役 角田昌生

「困ったことがあったら角田さんのところへ行け」といわれるほど地元の人から頼りにされている工務店がある。
 2023年現在、創業110年以上。大阪府池田市の角田工務店だ。

 社長は4代目の角田昌生さん。幼稚園の頃から体操教室に通い、今でも鉄棒があれば大車輪を見せてくれる…はず。

「口下手なんですよね」と語る昌生さんからは、話せば引き込まれる魅力を感じる。

生まれながらの宿命

 創業は祖父の兄。二代目は祖父、三代目に父と受け継がれてきた角田工務店の看板。角田家の長男に生まれた昌生さんは小学生の頃から心のどこかでこの家業を継ぐのだろうという気持ちがあった。

 夢がなかったわけではない。パイロットに憧れたこともあれば、体操の楽しさから指導者の道を目指したこともある。

「でもやっぱりなんとなく家の仕事を継ぐという思いがずっとありました。高校までは体操に打ち込みましたが、結局大阪工業大学建築学部に入学したんです」

 角田家の長男として生まれた日から定められた宿命。誰からも強制されることなく、それはただ自然に、ごく自然に昌生さんを建築の道へと進ませていた。

 大阪工業大学を卒業し、まずは測量事務所で仕事をした。一年後は鉄工所で職人を経験し、23歳で手すりやOAフロアの設計に携わった。そして26歳で角田工務店に入社。当時社長だった父親とはよくぶつかったが、そのやり取りとは裏腹に、周りからは家業を継いでくれたと喜びの声をもらす父の想いを聞いていた。

 角田家の長男。次期社長だからといって容赦はない。建築業界ではまだまだ若手。学ぶことは山ほどある。昌生さんは現場監督に従事しながら職人の仕事を目で見て、盗むのに全力を注いだ。大工仕事、水道の設備、ペンキの塗り方、建具の修理、床の張替え、リフォームなど、角田工務店で自身が吸収したことを挙げるときりがない。

 また、社長である父の建築知識もすごかった。
「例えば瓦一つとってもいろんな瓦があるんです。巴瓦とか袖瓦とか。今では古い大工さんや屋根屋さんでしか知らないような細かい知識を父は本当に詳しく知っています。その知識と経営はたくさん学ぶことがあったし、尊敬もしています」

昌生さんの快進撃

 地元の人から頼りにされる工務店。それは父の代から、あるいはもっと前からいわれていたことなのかもしれない。ただ、26歳で入社した当初、角田工務店は赤字だった。

「祖父の介護のため、父が仕事を縮小せざるを得なかったんです。そうなると仕事は減り、赤字になります。何とかしようと、公共工事を請けようと考えたのが28歳の時でした」

 行政から依頼される公共工事は基本的には入札制だ。安くすれば仕事は取れるかもしれないが、利益がなければ意味がない。仕事の大きさ、用意すべき人員、確保すべき利益を考え、計算し、入札をする。結果、初めて入札で請け負うことができた大阪府民牧場の建屋(休憩所)を完成させた時の感動は今でも強く心に残っている。

「池田市の幼稚園の建具の取り換えもやりましたね。この仕事のやりがいは自分たちで作ったものがずっと残るということです。石橋の駅前公園のトイレや、池田市の辻ヶ池公園のトイレも弊社が建てました。町や公園を綺麗にしようという動きを行政と一緒にできたのはやっぱり嬉しいです」

 行政の仕事はすべてが入札というわけではない。小規模の工事の依頼は特命されることもある。入札の仕事を着実にこなしながら信頼を重ねてきた角田工務店には、そういった小規模工事の依頼が来るようになった。

 当然民間の仕事も妥協はしない。サッシを直して欲しいという小さな仕事でもしっかりとお客さんの要望を聞く。すると今度は鍵の部分を直して欲しいという依頼が来る。丁寧なヒヤリングとアフターフォローで最後までその家の面倒を見ると決めた昌生さんのもとには地元の家々からリピートが来るようになった。

 また、通常では応えらえないような案件でも大工技術が大いに役に立つ。
「ホテルのような綺麗な洗面台を設置したい」というお客さんの話を聞いていると、なかなか難しい要望であることに気付く。既存の商品では対応できないのだ。しかしそこは大工の経験を活かし、要望通りの設計書を描き、架台を自分で作ってしまえばその問題もクリアできる。行政の仕事と民間の仕事。それらを実直に繰り返すうちに会社は黒字となり、「困ったら角田さんのとこへ行け」という嬉しい声は昔以上に大きくなった。

 池田市からの依頼で昌生さんの母校である北豊島中学の修繕の仕事を行なった際、校長先生から声をかけられた。今では校長先生だが、時を戻せば自身の中学一年生の時の担任の先生。懐かしい恩師だった。

 その後、2018年の北摂の地震(大阪府北部地震)をきっかけに行政から北豊島中学のブロック塀をフェンスに換えるという仕事が来る。もちろん入札だ。

「お前がしてくれるんやろ?」という校長先生からの言葉に、この時ばかりは受注を優先し、通常よりも安い金額で入札を行なったが、ブロック塀がフェンスに換わった北豊島中学は見晴らしが良くなり、後輩たちの元気に登校する姿は利益以上の喜びをもたらせてくれた。

角田工務店のこれから

 2021年4月、株式会社角田工務店の代表取締役に就任。先代社長である父親とは仕事の手順で揉めたこともあるし、これからも揉めることはあるが、それでも昌生さんは名実ともに会社を支える立場となった。

「経営について、父から学ぶことはたくさんありました。でも、それと同じくらいに自分を成長させてくれたのが体操の経験です。体操って個人スポーツなんです。チームで協力するものではないので、自分で考えて、結果を残さなければならない。人に教えることもあったので、教える難しさも学んだし、見ること、考えること、実際にしてみることの大切さも体操が教えてくれました。体操の技も、今やっている建築も、できた時の感動っていうのは最高です」

 仕事は楽しい。やりがいもある。ところが求人には苦戦する。募集をかけてもなかなか応募が来ない。

「きつい、汚い、危険といわれる仕事ですから。でも、如何に安全に、効率よく仕事をするかを考えるのが大切なんです。例えば毎年、盆踊りの時期には櫓(やぐら)の依頼を頂くのですが、先代までは三日で組み立てていた櫓を今では材料を替え、手順を変えることで一日で完成させています。そういった仕事の効率化を考えることが僕の仕事です」

 そんな昌生さんも2023年5月21日に結婚。奥さんのおかげで毎日に笑いが生まれた。これから家族が増えていくことを思えば人生は上向きだ。

「お子さんができるとしたら息子と娘どっちがいいですか?」
という質問に
「両方です」と答える昌生さん。
「息子には仕事を継いでほしいですか?」と聞くと
「そうですね。継いでほしいです」とのこと。

「娘さんはどうしましょう」と聞いてみた。

「・・・ベタ惚れでしょうね」

もしも生まれ変わったら

 角田家の長男に生まれ、自然と継ぐことを選んだ昌生さんの人生。その仕事をいつか生まれてくる息子にも継がせたいという思い。それほど建築の仕事は奥が深く、やりがいがあるという。

「もし生まれ変わってもこの仕事をしますか?」と尋ねてみると少し考えてからこう答えた。

「次はITの社長になろうかな」

 なるほど。口下手と自称するだけのことはある。

「ITに詳しいわけじゃないけど」
 と付け足す昌生さんの表情からは明らかに「来世も工務店をやるよ」という声が聞こえてくる。自らの宿命を歩み、改革し、引き継いでいこうとする昌生さんの無言の決意を聞くことができて、私はほんのりと嬉しくなった。

株式会社 角田工務店
大阪府池田市住吉1-11-8
kakuta-koumuten@wombat.zaq.ne.jp
072-761-2714
株式会社角田工務店

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この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

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