アスカ法律事務所 弁護士 堀田裕二

 大阪市にあるアスカ法律事務所のHPから弁護士紹介のページを見ると、【IT・スポーツ・ファッション分野に特化】と書かれた珍しい肩書が出てくる。その弁護士こそ、争いを嫌う弁護士、堀田裕二さんだ。

遊びまくった学生時代

 大阪府生まれ。三歳までは岬町で過ごし、その後は吹田市で育つ。両親は共に高校教師。ごく普通に育ち、関西大学第一高等学校へ入学した。理由は「エスカレーター式の学校なら大学受験の勉強をしなくていいから」だという。

 大学は関西大学法学部。スキー&テニスサークルに入ったものの、スキーもテニスもした記憶は殆どない。振り返ると出てくるのはとにかく遊んだことばかり。碌に勉強もせず、遊びまくったことが学生時代の思い出だ。

 そんな堀田さんにもつらい現実である就職活動の時期が来る。

「三回生の時に就活が始まったんですけど、民間企業は何となくイヤでした。で、これもなんとなくなんですけど、両親が公務員なので公務員試験を受けようとしたんです。でも公務員試験って結構難しいんです。というか、本当に遊んでばかりの学生だったので、公務員試験に出てくる高校レベルの問題が解けないんですよね。これは勉強が必要だと思いました。同時に、どうせ勉強するならもっと違うやつをやろうと思いました」

 ようやく勉強をする気になった堀田さん。そこで、資格でも取得しようとハンドブックを手に取った。何かを意図していたわけではない。ただ、なんとなく、パラパラっと最初に開いたページが「司法試験」だった。

 司法試験には受験資格も年齢制限もない。誰だって挑戦できる。もちろん超難関であることは知っている。ただ、幸いにも自分は法学部。さらに、遊び惚けてはいたが自分がアホではないことは知っている。せっかく学校に行かせてもらっているのに、このまま勉強もせずに卒業するとバチが当たるだろう。親も自身の決断を応援してくれている。足枷は何もない。

「よし、やったれ」

 三回生の終わり間際で、堀田裕二は本気になった。

打って変わって勉強三昧

 司法試験は大きく三つに分けられるが、最終合格までの全体の合格率は2.33%ほどしかない(当時)。
 一つずつ見ていくと、まずは短答式試験の合格率が約14%。
 続いて論文式試験。ここもまた合格率は約17%。
 最期に口述試験という、いわゆる面接試験があるが、ここまでくれば95%程の確率で合格するといわれている。つまり大切なのは上二つの試験を合格する知識。

 2年勉強すれば受かるだろうというのが堀田さんの考えだった。そこで卒業後の就職は諦め、四回生から司法試験予備校に通い始めた。

 遊び惚けていた今までとは一転、講座を受けるだけの毎日。1年目は記念受験のつもりで挑戦し、もちろん不合格。そして待望の2年目を迎えた。

 短答式試験は5月に行なわれる。この日に向けて頑張っていた2年。短答式試験で80%の志望者が落とされる中、堀田さんの結果は、合格だった。

「よし、やったれ」から二年での快挙。ただ、日本の試験の最難関といわれる司法試験は当然甘くない。論文式試験では合格を勝ち取ることはできなかった。

司法試験合格!

 悔しい思いはあったが自信にもつながった。来年ならば受かるのではないか。そんな希望も持つことができた。ところがやはり司法試験。3年目は短答式すら受からなかった。

 そして、受からぬまま6度目の試験を迎える時、堀田さんは27歳になっていた。

「六年も経つと、逃げ道がなくなるんですよね。もう27歳。三十路前。司法試験の勉強しかしてこなかったから、他の仕事では役に立たないんです。だから受かるしかないと思いました。しかもこの年、彼女と結婚することが決まっていたんです」

 私の頭の中にポンっと「?」が浮かんだ。

「彼女?」

「はい。バイト先で出会った彼女がいたんです」

 また頭の中に「?」が浮かぶ。

「バイト?」

「はい。塾講師のバイトをしていたんですけど、途中でそれを辞めて、自分が学んでいた予備校で講師のバイトをしておりました」

 頭の「?」が止まらない。

「自分が学んでいる予備校で講師?」

「2度目の試験で短答式には受かっていましたので、入門コースの生徒たちに教えることはできたんです。その時の生徒が彼女です。彼女はすでに法律系の仕事をしていたのですが、勉強のために通っていて」

「昼は大好きなバイクに乗ったり、いじったりしていたのですが、それも止めました。親から聞いたのですが、『あの子、仕事もせんと何してるんやろ』とご近所さんから心配されていたようです」

 もう頭の中には「?」しか出てこない。

 一生懸命勉強していたと聞いたばかりのこの6年。講座を受けるだけの毎日といっていたはずの6年。その6年間で堀田さんはバイクで遊び、バイトをし、彼女を作り、結婚するまでに話を進めていた。

 結婚をするからには就職していなければならない。司法試験だけを目指してきた自分にとって就職するためには合格が必須。

「今振り返ると、しっかりと勉強したのは後ろ2年くらいでしたね」

 バイトを辞め、バイクを辞め、堀田さんは勉強に取り組んだ・・・と思いきや実は両方とも減らしただけ。バイトもし、バイクもいじったが、それでも一日15時間以上を勉強に費やした。今まで4~5時間しか勉強していなかったことを考えると実に3倍にも及ぶ勉強量。当然、5月に行なわれる短答式試験は合格し、続く7月の論文式試験へと進んだ。

 論文式試験の合格発表は9月。まだ何も発表されていない8月に、彼女の両親のもとへと挨拶に行った。

「もし今年も受からなかったらどうするのか」

 そう問いかける彼女のお父さんに対し何と答えたかは定かではないが、合格するまでは社会人である彼女に養ってもらうつもりでいたという。

 9月になった。論文式試験の結果が届く。

 合格―。ついに手にした論文式試験の合格。訪れた感情は喜びよりも安堵感。結婚を控え、挨拶を済ませ、相当焦っていたに違いない。

 論文式試験の後に行なわれる口述試験はもちろん合格。ようやく6年(あるいは2年?)の努力が実を結び、堀田さんは司法試験に合格した。合格発表があったのは11月。12月には約束通り籍を入れた。

 多くの人が弁護士になりたい、裁判官になりたい、検察官になりたい、という目標を持ち司法試験に挑むと思う。ただ、司法試験合格を目標としていた堀田さんにはそれがなかった。では一体どの職に就くか。検察官と裁判官は公務員で、転勤もある。結婚したての堀田さんにとって転勤は避けたいところ。結果、自由に仕事ができる弁護士を選ぶことになった。

 一年半の研修を受け、堀田さんはアスカ法律事務所に入所。先輩弁護士に付きながら経験を積み五年後に経営側へとシフトした。

争いが嫌いな弁護士

 映画やドラマでは「異議あり!」と弁護士が手を挙げるシーンがよく出てくるが、実際はそんなことはない。華やかな世界は作品のために作られたものであり、現実は書類やネガティブな相談との向き合いだ。

 堀田さんにどういう仕事が得意なのかを聞いてみた。

「私の場合は裁判前に解決することを目指すようにしています」

 裁判で争うのを好む弁護士もいるが、堀田さんのスタンスは争わないこと。彼のもとに舞い込む依頼・案件は契約書のチェック、辞めさせたい社員についての相談などが多い。

「もめ事が嫌いなんです。もめる人も嫌い。だからもめないようにする。ほとんどの問題を裁判前に解決する。そこにモチベーションを感じます」

 争いの際には『落としどころ』を重視する。どんな争いであれ、お互いに言い分がある。どちらかに確実な非があればそもそも争いは起こらない。裁判は法律で争う最終手段。長引くほどに気力、体力、時間を要し、依頼人にとってはお金もかかる。そこで大切なのが落としどころだ。60:40にするのか、70:30にするのか。依頼者と共に『落としどころ』を定め、裁判へと展開する前に示談に落とし込む。あるいは争いが起こらないように、契約書に最初から規約を書いておくこともできる。

 弁護士の世界は華やかに見える。司法試験に受かるのは大変だが、なってしまえば先生と呼ばれる勝ち組のイメージがあった。ただ、取材を続けるとそうでないことがわかる。

「ストレスはどうしてもかかります。人の悩みをがっつり受け止める仕事ですから。それにやっぱり忙しいです。でも楽しく仕事がしたいので、スポーツ関連の依頼をお受けすることも多いですね」

 名刺を裏返すと【日本スポーツ法学会理事】【スポーツ仲裁人】【スポーツ少年団協力弁護士】など、見たことのない肩書が並んでいた。

 弁護士の仕事柄、守秘義務があるため書ける範囲でしか教えてもらえなかったが、Jリーガーの移籍交渉、契約を切られたラグビー選手の代理人、サッカーの試合での度を越えたサポーターへの対処など、スポーツ案件に特化した弁護士として活躍している。

人生を見つめ直すきっかけとなったバイク事故

 司法試験対策のため、一時バイクからは離れたものの、根本的なバイク好きは変わらない。ある日、バイクで転倒。膝粉砕開放骨折で入院した。

 病院のベッドでずっと考えていた。
 何となく開いたページから始まった司法試験への挑戦。ところが今は誇りを持って仕事をしている。当たり前だが、依頼者からはお金をもらう。しかし、同時にお礼も言われる。これはすごいことなのではないだろうか。弁護士に依頼するなんて一生に一度あるかないかのこと。そんな人生に係わる大切な場面に自分が関わり、お金を頂き、お礼を言われる。何と意味のある仕事だろう。

 入院中、たくさんの方がお見舞いに来てくれた。多くの人を助けられる仕事かもしれないが、今はこうやってお見舞いに来てくださる方がたくさんいる。むしろ多くの方々に支えられているのだという感謝を強く、改めて実感した。

「堀田さんはいつまで現役を続けるんですか?」

 との質問に堀田さんは笑って答える。

「忙しい仕事なので、できることなら早くリタイアしたいけど収入のこともある。…なんてことを言いながら、楽しくやりたいように、もめごとが起こらないように、ずっと弁護士をやっていくんでしょうね」

 裁判で争うだけが弁護士の仕事ではない。法廷で相手をコテンパンにしたところで、待っているのは控訴、上告だ。そうなると解決はどんどん遠ざかる。

 争いはいつも小さな火種から始まり、それが大きく大きく広がっていく。その結果、事件になったり、裁判になったり。そんな数多くの火種を、火種の状態で解決するのも弁護士の仕事。そしてそこに重点を置くのが堀田弁護士。
 弁護士に相談するような状況にならないよう生きるのが一番だが、もしもの時はやはりこの人だなと思わせてくれる。

 いかにも弁護士、という感じが好きになれず、弁護士バッジを付けない堀田さんの美学は何かのタイミングで「実は弁護士なんです」と名乗り出ること。確かにこの優しい雰囲気では事務所でお会いしない限り弁護士だとは気づかない。でも私はこの人が弁護士だと知っている。もめ事が起こる前に解決してくれる弁護士だと知っている。なぜなら取材したからだ。取材することでその人の人生を体験できるのはライターの特権だ。

 弁護士も素晴らしい仕事だが、ライターもすごいんだぜと心で思いながらお礼を言い、エレベーターまで一緒に歩いた。182㎝の先生の後ろを歩く165㎝のライター。やっぱり弁護士ってカッコいい。

アスカ法律事務所
大阪市北区西天満3丁目14-16
西天満パークビル3号館9階
06-6365-5312
https://aska-law.com/?page_id=80

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この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

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