フリーランス歯科衛生士 乃一ひかる

憧れの仕事『歯科衛生士』

 虫歯予防のために歯石、歯垢の除去や歯ブラシの指導を行ない、時には歯科医師の横に付き、診療の補助をする仕事、歯科衛生士。

 日々、患者のために汗を流すこの仕事のやりがいを、毎日伝え続ける人物がいる。

 乃一ひかる。

 きっかけは大したことではない。高校時代、歯科助手として歯科医院でアルバイトをしてみたのがすべての始まり。理由もただ、他と比べて時給が高かっただけのこと。

 しかし、バイトに励む日々でその考えは徐々に変わっていく。受付や診療のための雑務をする歯科助手とは違い、歯科衛生士は国家資格保有者。

 予防処置、保険指導、診療補助を行なうスペシャリストだ。

 患者と接する彼女たちの姿を見るうちに、乃一さんは歯科衛生士の仕事に少しずつ憧れを抱いていった。

「親にも資格がある仕事に就くといいよと言われていました。そこで出会ったのが歯科衛生士です。患者さんに喜んでもらい、感謝される姿を間近で見ていて、いいなと思いました。ですので、高校を卒業し、なにわ歯科衛生専門学校に入学しました」

 衛生士になるために入学した専門学校だったが、彼女にはすでに経験があった。実習も手際よくこなし、知っていることも多い。ただ、経験があるゆえに苦労したのは実技とは違う部分。しつけ、言葉遣い、姿勢、身だしなみなど、人間教育の部分はとても厳しかったと笑う。

 2012年3月。二十歳のときに歯科衛生士の国家資格を取得。大阪府池田市の歯科医院に勤務し、念願の歯科衛生士人生が始まった。

 勤務していた歯科医院は歯周病の治療、予防に力を入れており、衛生士に求められることも大きかった。乃一さんの役割は歯周病をはじめとする口内環境のことを患者自身に気づいてもらい、予防の意識を高く持ってもらうこと。ほんの少しの歯垢に大量に存在する菌を顕微鏡で確認してもらい、歯周病や虫歯予防のための定期検診の大切さを勧め続けた。

 悪化して治療するより、定期検診で歯の健康を保つ方が患者にとって良いのは当たり前のこと。元来の明るさと丁寧な接遇の甲斐あって、彼女が担当した患者のリコール率は99%と高く、学生時代に望んだ通り、患者に感謝される日々が続いた。

世界に出て気がついた!

 歯科医院での仕事は忙しく、立ちっぱなしのこともあれば、座ったとしても患者の口腔内を見るために背筋は伸ばしておかなくてはならず、肉体的には決して楽な仕事ではない。歯科医師や先輩衛生士との連携も必要で、患者が多ければ時間に追われることもまた日常。メンタル的にも厳しい仕事だ。せっかく叶えた自身の夢も、毎日毎日同じことを繰り返していくうちに、徐々にやりがいを感じられなくなっていった。

「週休二日。週五勤。休みの日は動けないくらい疲れていて、このままこうやっておばあちゃんになっていくのかなって不安になりました。そんな風に考えていると、海外で働いてみたいなって思うようになって。初めて海外に行った時にアメリカに一週間いたのですが、みんな明るいんですね。でも日本はみんなしんどそうで。それがずっと記憶に残っていて、よし、海外に行こうってなりました」

 2015年、約2年半務めた歯科医院を退職。

 その後、2016年にワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアへ渡った。オーストラリアを選んだ理由は、高校時代に歯科助手を選んだテンションと大差はなく「英語を使う国がいい」「暖かい国がいい」というシンプルなものだった。

 ただ、行ってみたオーストラリアが楽しかった。1年ビザでは満足できず、セカンドビザを取得。語学学校に4ヵ月通った後は、ベビーシッターをメインにウェイトレスやクリーナー(掃除)業で働きながら毎日を過ごした。

 ベビーシッターは主にオーペア。オーペアとはホームステイをして、現地の子どもの保育をし、滞在先の家族から報酬をもらう制度。いわば住み込みのベビーシッターだ。通うのではなく、生活をともにすることで理想の家族の在り方を知った。そして、周りの目を気にせず、自分をしっかり持って生きているオーストラリアの人々の生き方を目の当たりにした。

 今まで自分はどうだっただろう。他人の目を気にしてばかりいたのではないか。

「25歳までに結婚しなければならない」「20代で子どもを産まなくてはならない」「歯医者に合わせなければならない」…。

 そんな誰が決めたかもわからない世間や職場が求めるレールに従おうとするあまり、自分自身の思い、希望、葛藤に蓋をし、目を閉じ、見ないようにしていた。聞かないようにしていた。気づかないふりをしていた。

 帰国後、沖縄で1ヵ月リゾートバイトに勤しみお金を貯めた。次なる目標は100万円貯めて世界一周クルーズ「ピースボート」に乗ること。

 ただ、お金を貯めるにはもっと働かなくてはならない。高校時代、バイト先だった歯医者の勤務医が独立したことをSNSで知り、先生からの誘いもあってまた歯科衛生士の仕事に戻ってきた。ピースボートのお金が貯まるまでのつもりだったが、丁寧かつ的確な接遇をする乃一さんは歯科医院にとって必要な存在。お金が貯まったらピースボートに乗る間休んでもいいという好待遇で正社員として採用された。

 100万円を目標とする彼女にとって正社員待遇はボーナスもあり、まさに願ったり叶ったりだった。

 夢を持った時の彼女のパワーは人一倍…いや、数倍。休みの日はコールセンターでバイトをし、ひたすらお金を貯めた。そして念願の100万円を貯め、2018年12月、ピースボートに乗り込んだ。

 4ヶ月間の船の旅は本当に楽しかった。実際に世界を自分で見て回り、学ぶことも多かった。ただ、乃一さんは船内で学びを見つけることとなる

 船には1000人ほどの乗客がいるが、若い世代はせいぜい80人程度。その他は定年した人や裕福な人、中高年の経営者たちだった。
 乗客同士はよく食事でレストランが同じになる。そんな時はたくさんの人たちが若い乃一さんに声をかけ、様々な話をしてくれた。自身のこと、仕事のこと、人生観についてなど。

「私、歯医者さんで働いていただけだったので全然知らなかったんです。会社って自分で作れることも知らなかったし、頑張ったからこそ、この人たちは今の地位が築けているんだとか、やりがいのある仕事をしているこの方々がとにかく輝いて見えたんです。そしてとても発想が自由なんだなって感じがしました。それで帰国して、他の仕事をしようと歯科医院を辞めたんです。そうしないと成長できない気がして、しっかりお金を稼ぐために何か別のことをしようと思いました。思いましたが、未経験で歯科衛生士より稼げる仕事ってないんですね。だから結局、歯科衛生士をやりました」

 そう言って乃一さんは笑う。結局彼女はどこまでいっても歯科衛生士が好きなのかもしれない。

開花された才能

「次に務めたのが自費治療専門の歯医者でした」

 今まで保険診療メインの歯科医院に勤めてきた乃一さんにとって、初めての自費がメインの診療所。3Dスキャナーをはじめ、数々の最新の医療機器と出会った。

 自費診療の中でもメインだったのが歯科矯正。そんな歯科医院で彼女が驚いたのは衛生士が矯正の契約を取ると歩合給が発生するというシステム。自分が頑張れば頑張るほど給料が増える仕組み。もちろん今までも歯科衛生士の仕事は頑張ってきたが、初めて『頑張り』が『見える化』した。ここでの頑張りは同じことの繰り返しではない。ピースボートで出会った人達のように、やりがいを持って、楽しく働ける。仕事が楽しいと思える。

 とはいえ、歯科矯正は100万前後の高額な治療。保険診療をメインとしていた歯科衛生士にクロージング力があるとは思えない。

「私、さっきコールセンターでアルバイトしていたって言いましたよね。あれ、実はピースボートの勧誘なんです。ピースボートに乗りませんか?って過去に問い合わせがあった方に電話して、説明会に来てもらう仕事なんです。私は100万円払って四人部屋で乗りましたが、富裕層は個室や夫婦だけの部屋を取るので、300万円くらいするんです」

 なるほど。高額商品の提案は経験済みというわけか。

「何件も電話している内にわかってくるんですよね。こう言えば説明会に来てくれるんだとか、こういう人はパンフレットを欲しがるんだなとか」  ピースボートに乗る前に、ピースボートの勧誘成績上位に立った乃一さんに隙はない。思えば定期検診99%のリコール率を新人ながらに誇った実力者。彼女の知識、接遇マナー、熱意は、矯正を望む多くの患者の背中を押し、いつの間にか自費専門のカウンセラーになっていた。

歯科衛生士だからこそ

 現在日本は少子超高齢化社会。歯科衛生士になって勉強をするうちに健康寿命と寿命の差が10年もあることを知った。誰もが健康なまま死にたいと思っているのに病気になる。寝たきりになる。健康を失い、寝たきりになり、管に繋がれ延命し、亡くなるまでの期間が10年もある現状。

 予防医学を学べば学ぶほど、口腔内が最も大事だと気づいた。身体は食べた物でできている。その入り口はもちろん口。その口のスペシャリストこそ、歯科衛生士。残っている歯の本数が多ければ認知症になる確率が減ること、歯周病が糖尿病を悪化させること。それらを知っているのは彼女が歯科衛生士だからだ。

 このまま進むと医療費が70兆円を超えるという統計が出ている。そしてそのお金をこれから負担していくのは自分の子ども達の世代。

 病気を防ぎ、健康な人が増えれば医療費もそこまでかからない。一人一人が病気を予防し、健康寿命を延ばせば医療費を抑えることができる。歯科衛生士こそが、その予防の役割を担っている。

 それに気づいた今、乃一さんは自身の仕事は素晴らしいものだと胸を張る。しかし実際は、たくさんの歯科衛生士がかつての自分のように仕事を辞めたがっている。資格を持っている人の半数が、もう歯科衛生士をしていない。数ある仕事の中でも離職率は常に上位だ。

 2022年、GWに妊娠がわかり、諸事情から未婚のまま母となることを覚悟する。その後11月に産休・育休を取得した。

「妊娠中に考えていました。フルタイムで働けば養うことはできます。でも子どもとの時間が取れません。だからといって時短勤務にすると給料も減るし、生活水準は下げたくない。翌年1月に出産しましたが、ずっとどうにかしないとなと思っていました」

 ずっと考えて、考えて、浮かんだ仕事がフリーランスの歯科衛生士。得意のクロージング力を活かして契約を取り、歩合をもらおうかとも考えたが、自身のしたいことは講師業だった。

 今、彼女は全国の歯科医院で若い歯科衛生士の教育を行なっている。それは実演だったり、セミナーだったりさまざまだ。インスタグラムを活用し、宣伝を続けている内にDキャリアプラスやホワイトクロスといった歯科医師向け情報サイトからセミナーの依頼も届くようになった。

「ほとんどの歯科衛生士が矯正などの高額治療を勧めるのを躊躇します。申し訳ない気がするみたいですね。でも患者さんの親身になって、このままだとこういう咬合で、将来こうなってしまうよという風に、お金のことではなくて患者さんの将来のことをきちんと伝えると、患者さんも真剣に考えます。あと最近は外国人の患者さんも多いので留学の経験を活かして、簡単に使える歯科英語の研修をしたり。でも、一番は歯科衛生士にやりがいを持ってほしいと思っています。もっとやりがいを持って楽しく働けるようになればと、私自身のやりがいを伝えるようにしています。まずはそれが先ですね。楽しく仕事できるようになると離職率が安定します。するとドクターも患者さんも喜ぶし、安心して任せられますからね」

 乃一さんのインスタグラムを開いてみると2024年5月の時点で414の投稿がある。そこには今までの自身のことや、ノート・メモの使い方、健康に関することなど、歯科衛生士以外の人が読んでも学びになることがたくさん書かれてある。 全ては多すぎて見れなかったが、ふと目にとまった文章をここに綴り、筆を置こうと思う。

そこそこ幸せだった。

贅沢はできないけど、
大好きな旅行にも行けた。
仕事はしんどかったけど、
お金の為に働いた。
自分に自信がないから、
夢を見るのは辞めた。

毎日不安だった。
未婚シングルマザー。
時短勤務だと生活できない。
フルタイムだと、この子との時間はない。
貧しい思いはさせたくない。
この子にも、
私にも。

だから決めた。
そこそこじゃなくて、
最高に幸せになる。

言い訳なんていくらでもできた。
ワンオペだから。
今はまだ早い。
お金がないから。
子どもが小さいから。
時間がないから。
シンママだから。
実家に頼れなくて。

でもやめた。
そんな姿を見せたくない。
何でもかなえられると伝えたい。
今無職になっても、
また0から稼げる自信がある。
それだけの知識がある。
私の土台は消えないから、
何度でも積み重ねていける。

フリーランス歯科衛生士
乃一ひかる
https://www.instagram.com/noi_dh_note

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この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

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