旬に居酒屋 心芽 店主 宮竹恒太

 子どもの頃、家族旅行で泊まったどこかの旅館で梅昆布茶の粉末を見つけた。興味本位で飲んでみてなんと美味いのかと驚いた。薄緑色の粉末に湯を注ぐだけで良い香りと味がする。ちらほらと浮いている小さな梅が味わいにアクセントをつける。

 大阪府豊中市。阪急宝塚線と大阪モノレール本線が交わる蛍池駅から歩いて約2分のところにある「旬に居酒屋 心芽」。
 取材に訪れるやいなや、店主自らが海の幸、山の幸をふんだんに使った料理を並べてくれた。
 早速料理に箸を運ぶ。おせち料理の定番、クワイに目がとまる。皮がついたままの素揚げのようだ。味付けは塩のみ。今まで煮物でしか食べたことがなかったが、そのホクホクとした食感と、ほのかな甘い香りに思わず笑みがこぼれた。

 続いてそっと湯呑が置かれる。自家製の梅昆布茶だそうだ。
 梅昆布茶と聞いて子どもの頃の驚きを思い出した。懐かしい気持ちのまま湯呑を持ち、そこでまた驚いた。私の知っている梅昆布茶ではない。大きな昆布がそのまま入っている。梅干しがまるまるひとつ入っている。ひと口飲んでみると純粋な素材だけの味わいにまた笑みがこぼれる。
「その笑顔を見るために料理やってるんですよ」
店主が私の顔を見て笑って言った。

美味い食事とインドでの経験

 素材の味を活かす料理人、宮竹恒太さん。「旬に居酒屋 心芽」の店主だが、もともとはシステムエンジニアだったという。

 龍谷大学電子情報学科卒。学生時代は学費を稼ぐためにバーやゲームセンター、新大阪のレストランなど、アルバイトに明け暮れた日々を送った。主な理由は学費を自分で稼ぐためだが、宮竹さんには他にも二つ、お金を使う楽しみがあった。

 一つは食事。
「人って美味しいもん食べたら次の日頑張ろうと思うやないですか。だからバイト代の中から1万円だけ、豪華なご飯を食べるために使っていました。その代わり他の日は極貧生活です」
 学生時代の一度の食費1万円は相当な金額だ。それでも宮竹さんは美味しいものを食べ、一か月分のやる気を漲らせることが楽しみだった。

 もう一つは海外旅行。
「いろんなところに行きましたが、やはり人生観が変わったのはインドでしたね」
 インドに行った際、たくさんの売り込みを受けた。日本人を見つけてたくさんの商売人が商品を持って押し寄せてくる。それらを払いのけながら進む中、足に重みを感じた。
「僕の足に3歳くらいの女の子がしがみついているんです。引きずられても離さないんです。だから言葉なんてわからないんですけど、とりあえず日本語で『何でそこまで必死なん?』と聞いてみると、女の子は口をふさぐ動作をしたんです。『食べるものがない』という意味だと気づきました」
 彼女が売っていたのはどこにでもある風船。宮竹さんは風船を買い、腕に着けてもらった。そしてその対価とは別に、自分が持っていた食べ物を他の人たちに奪われないようにこっそりと渡した。
「日本って本当に恵まれているんだなと感じました。あの女の子との出会いは、もっと必死に働かなければと強く思わせてくれる出来事でした」

 大学を卒業後、情報センターにシステムエンジニアとして入社した。だが、そこで待っていたのは目の前のモニターで数字と個人情報ばかりを眺める毎日だった。

料理の道へ

 ずっと違和感があった。家を借りるにも、カードを作るにも、今や何をするにも必要となった個人情報。その仕組み自体は便利なものかもしれないが、仕事に携わる身としては個人情報は時として人を縛ることもある。自由を奪うこともある。

 自分のしたいことはこれではない。もっと自分にできることをあのインドの少女のように全力で頑張りたい。学生時代に1万円で食べた料理のように、誰かの明日に活力を与えられる仕事がしたい。その思いは徐々に強くなり27歳で退職。飲食に携わる仕事をしようと、大学時代バイトをしていた新大阪のレストランの店長に相談した。

「俺の知る限り、一番ストイックな人を紹介してやる」
そう言った店長から紹介された人が、宮竹さんの師匠だ。中学生の時に佐渡島から丁稚奉公で大阪に出てきて、船場吉兆で腕を磨いた料理人。
「料理を一年で教えてください」と頼むと最初に飛んできたのは拳骨だった。

 宮竹さんとて生半可な気持ちで頼んだわけではない。27歳という年齢。もう後戻りはできないという現実。独立への志。思うことはたくさんある。拳骨をくらった後、その場で土下座し、自身の思いを伝えた。
「弟子なんて取りたくない。だからお前が最初で最後だ」
 こうして宮竹さんの料理人としての人生が始まった。

 師匠は恐ろしいまでに厳しかった。だからこそ学ぶことも多かった。従業員やアルバイトは他にもいたが、宮竹さんは唯一の弟子。師匠のあたりはすべて自分に飛んでくる。
「若い頃、ゴボウを片手で持っていたら師匠に殴られました。『ゴボウ様を片手で持つとは何事だ!』って」
 お客さんの少なくなる時間帯、店の従業員やアルバイトは休憩をとり賄いを食べていたが、弟子である宮竹さんにそんな時間は許されない。10~20種類もの仕込みを並行してこなし、もちろん休憩はなし。その時間はすべて包丁技術の習得のために費やした。

 師匠の味に追いつくべく、宮竹さんは何度も何度も料理を作り、師に味見を依頼した。しかし、食べてくれることはない。同じ味を再現しようと試みたが、職人気質の師匠の調理は感覚の成せる技。食材も味付けも「良い塩梅」が染みついている。

「一度だけでいいので分量を量らせてください」
そう頼み込み、師匠の料理をデータ化した。そこら辺が何ともシステムエンジニアっぽい。

 ただ、この試みは非常に上手くいった。料理の再現性が確実に上がり、より美味いものを作り上げるための土台となった。

 修業した3年間で、一度だけ師匠が食べてくれた料理がある。だし巻き卵だ。この時もこのデータが役に立った。
 Mサイズの卵3つに75㏄の出汁。このレシピをあえて崩し、倍の150㏄の出汁を入れた。当然、出汁の分量が違えば火加減や焼き方も変化する。
 すぐ焦げる。
 すぐ硬くなる。
 そんな失敗を何度も繰り返しながら、ようやく完成しただし巻き卵。

 師匠が初めて自分の作った料理を口にする。美味いとも不味いとも言わない師の口から出てきたのはたったひと言。

「明日から、これでいこか」

 翌日から、宮竹さんのだし巻き卵が店のメニューとして採用された。

「このだし巻き卵は今ではうちのメニューです。アルバイトの子にも、まずはこの卵を焼けるように練習してもらっています」

独立のタイミング

 師匠の下で修業して3年。宮竹さんは30歳になっていた。師匠が店を辞め、佐渡島へ帰るというタイミングで宮竹さんも退職。独立のための物件を探した。

 たくさんの預貯金があるわけではない。できるだけ初期費用が掛からぬよう、居抜き物件に候補を絞って何件もの物件を見て歩いた。とはいえどれも長年の汚れでドロドロの状態。開業するイメージが湧いてこない。
 そんな中、見学に来た物件の隣にあった居抜き店舗が気になって不動産屋に詳細を尋ねてみた。
「7年やっていた居酒屋さんで、店を綺麗に改装したんですけど、その後、半年で廃業したんです」
 ここだ。ようやく見つけた最良の居抜き物件。蛍池駅徒歩2分の駅近店舗。
 2004年8月。「旬に居酒屋 心芽」が蛍池駅前にオープンした。

 駅前という最高の立地だったが、周りの人は反対したらしい。蛍池駅は阪急とモノレールの乗り換え駅で、当然人通りも多い。ただ、駅が2階にあるため乗り換えも2階で完結してしまう。駅から出る人が少ないというのだ。

「じゃあ呼べばいいじゃないか」

 宮竹さんはお客さんを呼び込むために安さと技術で勝負をかけた。目指すは美味いものを安く提供する居酒屋だ。
 そこでまず考えたのが仕入れ先。知り合いの飲食店のオーナーに付き添ってもらい、仕入れのいろはを教わるべく朝一番に豊南市場へと出向いた。
 市場に並ぶ商品はAランクのものから規格外のものまで幅が広い。どのお店でどの食材を選ぶかは自分の目利きがものをいう世界。そんな市場の中を宮竹さんは毎日歩き回った。歩きながら、どういった食材が四季折々流通し、それらをどのように調理すればお客さんが喜んでくれるかを考えた。
 また、良い仕入れをするには小売店との良好な関係を築くことも不可欠だ。良い食材があったとしても、まずは馴染みの老舗料理店が最優先でそれらを買い付けてしまうため、新人の店主は後回しになりがちだ。かといって良い食材を揃えないことにはお客さんに喜んではもらえない。小売店と信頼関係を築くため、宮竹さんは毎朝、仕入れる食材がなくても顔を出した。それでも市場が一番活気づくの朝の時間帯は会話することすらままならない。
 そこで今度は時間帯をずらすことを思いついた。そうすることで徐々に小売店と話ができるようになり、この食材はどのように食べるのが美味しいのか、今の値段は相場より高いのか安いのか、この食材は新鮮なのか否かなど、多くのことを質問し、学び、同時に信頼関係も築いていった。
 仕入れに力を入れた結果、店は繁盛したが、次なる問題は仕事量。毎日毎日、家に帰らず仕込み、仕込み、また仕込み。手間、労力、時間をかけても利益が出ないという状況に苦しむこととなった。

素材の味を最大限に活かす

 開店から5年。仕込みに追われる日々が続き、所属する商工会議所で経営相談をした。 
 相談に乗ってくれたのは経営者仲間である種苗屋の社長。彼からのアドバイスが宮竹さんの料理スタイルを一転させるきっかけとなる。
「道の駅とか、いろんなところに行ってみれば? 市場だけでなく、道の駅に行けばいろいろありますよ」
 仕入れに関する助言だった。もちろん市場での仕入れは欠かせない。ただ、市場よりもさらに新鮮なものが手に入るところがあるのであればと、宮竹さんはアドバイスに従い、道の駅に行ってみた。道の駅といっても近くて40分。遠い場所だと市場に戻ってくるのが昼過ぎになることもる。幸い、その頃には市場の方々との信頼関係ができていたため電話発注で食材を抑えてもらうことはできる。であればと、自身は朝から道の駅へ。早い日は早朝4時に出発という食材探しの旅が始まったが、この行動が心芽にとって吉と出る。

 農家から野菜を直接販売してもらえる道の駅は食材そのものの鮮度が違う。大根を切ると、じわ~っと水分が溢れてくる。巷の大根だとそうはならない。また、食材を見て、触って、選ぶことの喜びに改めて気が付いた。
「今度はあそこの道の駅まで行ってみよう」
「この道沿いに無人の野菜販売所があったなあ」
「明日も新しい食材に出会えるかも」
 そう思って過ごす仕入れの時間は宮竹さんにとってワクワクでしかなかった。食材の仕入れにたっぷりと時間をかけられることの幸せを知った。

 今までは市場で買ってきた食材を決められた時間で仕込んでいた。そんな毎日の繰り返しで、自分の中にストレスをため込んでいたのかもしれない。そしてそのストレスは食材そのものにもうつってしまう。道の駅で見つけた、まだ土のついたままのゴボウ。食べる直前に土を洗い、さっと揚げる。それだけで抜群に美味い。きれいに洗われ、陳列された土のついてないゴボウでは到底出せない味だ。本来、土と共に育つゴボウは土と共に保管するのが望ましい。洗われると素材本来の味を失ってしまうのだ。

 修業時代の師匠の言葉が甦る。
『ゴボウ様を片手で持つとは何事か!』
 同時に殴られた痛みが、自分の心を気持ちよくえぐる。

 師匠はすべてを知っていた。食材にストレスをかけるなということを弟子である自分に教えてくれていたのだ。

「美味さの秘訣は素材を活かすこと。素材を活かした料理が人を活かす」
 心芽のスタイルが決まった。

「さっき食べたクワイ、まったく苦みがなかったでしょう? おせち料理のクワイは煮込みなんですけど、煮込むとストレスがかかって苦みが出るんです。だから苦手な人も多いですよね。ところが揚げてやるとストレスをかけないので苦みもでず、旨味が出るんです。小手先の技術だけでなく、素材にストレスをかけずに本来の味を活かしたものが心芽の料理です」
「苦み、えぐみ、辛味、酸味などは舌の先の方で感じます。でも旨味は舌の奥で感じるんです。本能的に『食べたらあかん』という味は最初に感じるようにできているんですね。だからそういう味を出さないよう、食材にストレスをかけない調理法を用いています。昆布で出汁をとるなら60℃のお湯で、乾燥椎茸なら水で戻す。自然の食材には余計な味付けはしないようにしています」

作り置きはしない

「うちにはいろいろなお客さんが来てくれます。近所の幼稚園で調理をしている方が食べに来られて『なぜこんなに美味いのか』と質問してくれることもありました。お仕事の商談で来られる方もいますが、美味いもん食べると笑顔になりますよね。すると仕事も上手くいく。他にも食べた瞬間に商談も箸も止めて『これ何?』と聞いてくれる人もいましたよ」

 そんな宮竹さんのこだわりは「できたての提供」。
「主婦の方々は旦那が帰ってくる時間に合わせて食事を作ります。愛情も入っていて美味いに決まってる。僕はそれを超えなあかんので、絶対に作り置きはしないです」

 例えば人気のメニュー【インカの目覚め唐揚げ】を注文する。インカの目覚めとは北海道のジャガイモで、最高級の品種だ。オーダーが通れば冷蔵庫から土のついたままのイモを取り出し、洗って、切って、そのまま揚げる。冷蔵庫に入れているのは北海道の雪の下で熟成させたその環境を変化させないため。土がついたままなのは土壌の中の環境を維持するためだ。食べる直前まで生きていた「インカの目覚め」は調理の過程でその強い甘みと濃厚な味わいを失うことはない。逆に洗って準備していたり、常温で置いてしまっていたりしてはストレスがかかり、素材の味は引き出せない。

「海の生き物も同じです」
そういって生け簀(いけす)から一匹の車海老を取り出した。
「心を無にします。殺気があれば海老にストレスがかかりますから」
 そう言ったかと思うと、さっと頭を取り、背わたをとり、醬油とともに出してくれた。
「醤油は少しだけで充分です」という言葉を信じて、ほんの少しだけ醤油をつけて口に運んだ。舌先では何も感じず、舌の奥で海老の持つほのかな甘みと確かな旨味を感じる。数秒前まで生きていたこともあり、弾力も最高だ。また自然と笑みがこぼれる。

「その顔!そんな【美味しいの笑顔】を作り続けたいんです。そのために師匠から教わったことはどんな状況でも手を抜くなということでした。なので作り置きするのではなく、素材を最高の状態でお出しするようにしています」

何杯も楽しめる梅昆布茶

 取材をしながらちびちびと飲んでいた自家製梅昆布茶がなくなった。湯呑には昆布と梅が残っている。
「昆布茶なくなったら、この昆布は食べるんですか?」
 そう尋ねると、宮竹さんは湯を足してくれた。昆布からはまだまだ旨味が出て、梅にも香りと塩味がたっぷりと残されている。旨味がなくなるまで、何杯も楽しめる梅昆布茶。ここに焼酎の湯割りを入れるのがおすすめと教えてくれた。
「コロナの時はフードロスが多かったです。鮮度の良い素材を仕入れても、お客さんが来なければ使えない。かといって翌日に鮮度の落ちた食材は店のメニューとしては使えないでしょう。ですから機械を2つ買いました。真空パックにする機械と、天日干しと同じ効果を出してくれる乾燥機です。椎茸や梅をここに入れて乾燥させて、栄養と旨味を凝縮しています。この梅昆布茶もコロナ後にできたメニューです。美味しいでしょ?」

コロナ渦での覚悟

 日本中の飲食店に大ダメージを与えたコロナの流行。この時ばかりは宮竹さんの頭にも廃業という言葉がよぎった。しかし、その時に思い出したのがお父さんのことだった。

「父はこの店をオープンさせたとき、末期ガンだったんです。何も食べられませんでした」

 心芽をオープンして2ヵ月後の2004年10月、一つの心残りを胸にお父さんは亡くなった。

「『お前の店に行きたかった』って生前、ずっと言っていました。でも来れなかったんです。だから今、父はこの店にいてくれてるんじゃないかなって思うんです。30年間育ててくれた父の思いに背きたくなかったんで、閉めるわけにはいかないと思いました」

父の思いに背を向けたくない—。廃業の覚悟は『営業を続ける』というより強い覚悟にかわり、それはこれから先もかわらない。

 定休日は日曜日と祝日。休みの日は家族と地方に出かけることもある。行先の一つはやはり道の駅。
「新素材に出会ったときのトキメキが好きなんですよね。いろいろ試したいんです。これからもいろんなところでいろんな食材を見て、触れて、試して、食の進化を探し続けたいですね」

 そういって宮竹さんは私の湯呑をのぞき込み、またお湯を注いでくれた。急に寒くなった11月の昼下がり。3杯目の梅昆布茶からは程よい香りと微かな塩味が感じられ、またも私を笑顔にしてくれた。

旬に居酒屋 心芽
営業時間17:30~24:00(L.O.23:30)
日祝休み・臨時休業あり
大阪府豊中市蛍池東町1-3-1-101
06-6842-1357
izakaya-shinme.com
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この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

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