grab32代表 柳田顕輝

 サーフボードで波に乗る爽快感は例えようがないと聞く。海、風、自然と一体化する感覚。大きな波になるほどスリルが増す。そんな波に1本でも乗れるとたまらない気持ちになる。

 柳田さんは大阪府池田市の工務店「grab32」の経営者。建築士でもあり、大工でもある。職人への憧れから大工の世界に飛び込み、今では地元密着の工務店として、自らも現場に立ち続けている。

職人への憧れ

 小さな頃からもの作りが好きでプラモデルや木工作品を作っては友人に褒められていたという柳田さん。ところが、親から褒められた記憶はほとんどない。両親は会社員で共働き。朝早くから夜遅くまで家にはおらず、幼いころは母方の祖母に育てられた。

 職人への憧れが芽生えたのは小学生時代。近所の自転車屋がきっかけだった。

 自転車屋のおじさんにパンクした自転車を持って行った。慣れた手つきでパンクを直し、修理が終わればお金も受け取らず返そうとする。奥からは「対価をもらえ」というおばさんの怒る声が聞こえるが、おじさんは「早く行け」と笑いながら追い払う。その手は力強く、爪は真っ黒だった。しかし、その手が、爪が、笑顔が、技術が、柳田さんの心を刺激した。

 小学校、中学校時代は野球に明け暮れ、高校ではラグビーを始めた。

 手先は器用で、運動もできる。ところが勉強はどうもうまくいかず、高校卒業後の進路はまったく見えていなかった。

 ある日、家に帰ると実家のリフォームの最中だった。大工が床を丁寧に張り替えている。最初は何気なく眺めているだけだったが、徐々に興味がわき、楽しそうに見え、格好良くも見えてきた。

 小学生の時に感じた職人への憧れと、目の前の大工の仕事が心の中で繋がった。

職人さんだけでは終わりなさんな

 リフォーム工事をしていたのは地元の工務店。高校を卒業した翌日、柳田さんはその工務店に出向き、弟子入りをした。当然ながら修業時代の給料は安い。月収5万円。時給にすると200円ほどだろうか。それでも柳田さんは大工の仕事を目で盗み、経験を積んでいく。理不尽で厳しいこともあったが、親方の教えは素晴らしかった。「仕事を早く覚えて早く出る(独立する)」という信条のもと、多くのことを経験させてくれ、2年半が経った頃には一軒の家を自分で作れるだけの技術と知識を習得するまでに育ててくれた。

 仕事を任せられる立場になって数年。25歳で独立し、柳田工務店を開業。結婚し、子どももできた。順風満帆のように思えるが、柳田さんの脳裏には一つ引っ掛かることがあった。それは18歳の時にお客さんの家を建てた時に言われた言葉だった。

「あなたの師匠は腕はいい。でも師匠のようにはなるな。これからは腕だけでは食べていけない時代になる。何か資格を取りなさい。職人さんだけで終わりなさんなよ」

 柳田工務店という名前ではあるが、やっていることは下請けとしての大工の仕事。このままではいつまで経ってもいち職人から抜け出せない。生まれたばかりの娘の寝顔を見ながら考える。
「このままこの子を育てられるのだろうか。家族を養っていけるのだろうか」

 弟子入り時代と違って、今はもう経営者。生きるために、家族を守るために進化しなくてはならない。そう感じ、2年後に建築大工二級技能士、翌年には同一級技能士を取得。30歳で二級建築士の資格を取得した。さらに35歳で仕事の幅、規模を広げるために屋号を「grab32」に改め大阪府知事許可を取得。それにより、下請け、孫請けだけでなく、元受けとして大きな仕事を受けられるようになった。

「ありがとう」のために

 18歳から大工となった柳田さんだが、もう一つ続けているものがある。20歳で始めたサーフィンだ。弟子時代、自分のための修業期間とはいえ月曜から土曜はがっつり仕事。その疲れやストレスを唯一の休みである日曜日にサーフィンで発散した。今は毎週はさすがに厳しくなったが、それでも週一度に近いペースで他府県に赴き、波に乗っている。

「サーフィンにゴールってないんです。ただ、自然と一体化して、ずっと波に乗り続けるだけです。でもそれが面白いんです。だからずっとやっています。サーフィンも仕事も、面白くないと続けられませんよね」

 幼い頃は何をするにも自信が持てず「俺にはできない。できるはずかない」と思い続けていた。だからこそ、その言葉に自分自身が反発するようにプラモデルや木工作品を器用に作り、友達から褒められてもきた。不安と、それを覆す行動。その繰り返しで大工になり、経営者となった。

「自分には何もできないというトラウマがずっとありました。それは今でも残っています。だから作り続けていないと不安なんです」

 そういって笑う柳田さんに大工の魅力を聞いてみた。

「お客さんが一生住む家、生活する場所を作れることです。そして『ありがとう』という感謝を直接伝えてもらえることです」

 不安だから作り続けるという言葉に偽りはないと思う。ただ、根底にあるのはそんな自分自身が、自分の持つ技術が、誰かから感謝されるという喜びではなかろうか。遠い昔に自転車のパンクを直してくれたあのおじさんはただ、自分の持てる力を柳田少年の自転車を直すために発揮した。お金なんてどうでもよくなるくらい、目の前の小さなお客さんが喜んでくれることを嬉しく思ったに違いない。

 下請けの大工だった時代と違い、今は店舗や美容院の内装、リノベーション、新築、改築など、建設に携わることならなんでもできるようになった。大工の仕事以外のクロスやシャッター、左官などの仕事も横の繋がりがあるから請け負える。駆け出しだったころにお客さんに言われた「職人さんだけで終わりなさんなよ」という言葉は、柳田さんの中でしっかりと生きている。
 ただ、それでも柳田さんの根っこは生涯【職人】だ。
 地場の工務店として活躍するgrab32にホームページはない。ホームページを使ってマーケットを広げすぎると、自分を頼ってくれているお客さんのもとに行けなくなる。それならばと、自分がずっと現場に立てる地元にこだわり続けて今がある。

 サーフボードで波に乗る爽快感は例えようがないと聞く。海、風、自然と一体化する感覚。大きな波になるほどスリルが増す。そんな波に1本でも乗れるとたまらない気持ちになる。

 職人として人に感謝される喜びもまた然り。お客さんの要望に自分の腕一つで勝負をかける。地元に足場を固め、どんな仕事も綿密に計算し、こなしていく。

 仕事一本一本に全力を注ぐ柳田さんの真っ直ぐなこだわりと、確かな技術。力強い手と、優しい笑顔—。

 話をしている内に、ぼんやりとだが、柳田さんの憧れた自転車屋のおじさんに会えた気がした。

grab32(グラブミツ)
〒563-0032 大阪府池田市石橋4-12-4

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

熊本県八代市出身
兵庫県西宮市育ち
大阪市在住
九州男児と胸を張るが実は熊本は生まれただけ。
当然のようにネイティブ関西弁を扱う。

ライター時代は格闘技、美容、風俗、コラムなどを執筆。
現在ラヂオきしわだにて「風祭耕太のわらしべTalking」を担当。
2022年5月kazamatsuri-magazineスタート。

目次