東京生まれ、東京育ち、姉の後ろに隠れるほどの人見知り…という子ども時代が嘘ではないかと思うくらい輝美(えみ)さんは初対面の私の目を見て、真っ直ぐに話をしてくれる。見た目は(失礼ながら)大阪人だ。
表現者への憧れ
中学生の時、母親から一緒に見に行こうと宝塚歌劇に誘われた。チケットが二枚あっただけで、母親に他意はない。ただ、この歌劇鑑賞が輝美さんの人生を左右する大きな転機となった。
祖母の代からパーフェクトリバティー教団(以後PL教と表記)を信仰する家庭で育った輝美さんは、幼いころからずっと教団の教えである「世のため、人のために生きること」を信条に生きてきた。周囲の大人からは「悟っている子」と、褒め言葉とも揶揄ともとれる言葉をかけられた。ただ、それでもその教えが当たり前だと思わざるを得ない毎日で
『私はPL教の教えに基づいて生きているのに、周りの友達は自分哲学で生きている』と、友達を羨ましく感じることもあった。
今、目の前の舞台上でたくさんのダンサーが自由に自分自身を表現している。初めて見る光景。初めて沸き起こる感動。
「かっこいい…。生の舞台で踊りたい。宝塚歌劇団に入りたい!」
初めて自我が芽生えた彼女は、中学を卒業した後、東京の高校に入学。宝塚受験に備えてバレエと声楽に明け暮れる3年間を過ごした。
そうはいっても宝塚音楽学校は超難関。試験を受けたのは二度。高校二年生の時は一次試験で落選。最後の年は一次試験は合格するも二次試験の通過は叶わなかった。思い込みの強いタイプゆえ、合格するものと心で決めつけていた中で突き付けられた現実。その時の心境を聞いてみたが、想像よりもあっけらかんとしていた。
「指定校推薦をもらっていたので大学に進学しました。でも舞台人になりたくてすぐに休学しましたけどね」
笑いながら話す輝美さん。どうやらそれなりの学業成績を収めていたようだ。抜かりがない。
「休学して、バイトをしていたんですけど、やっぱり学校行ってないと教養がないんですよね。ちゃんと学ぶことは学んでおかなければと思ってまた大学に行くことにして、復学の前に一人でインドに行ったんです」
寝台列車での移動中、ベッドの階下にフランス人、隣にはイタリア人がいた。
「三ヵ国の旅行者が拙い英語で会話するんですけど、その時にインドの楽団の人たちが来て、私たちの前でビートルズを演奏してくれたんです。すごいですね、やっぱり。それだけで世界が一つになりました」
舞台人に憧れ、そうなりたいと思って生きてきた輝美さんがインドで感じた音楽の力。
「表現」のすごさを改めて感じた瞬間だった。
輝美さんは自分の表現方法をダンスと定め、大学での4年間を踊って、踊って、踊りちぎった。しかしいつまでも学生ではいられない。卒業後にダンサーになろうか、就職しようかと悩んだ。
選んだ道は就職。ダンサーだけで生活するのは厳しいと、株式会社レオパレス21に入社。法人営業部に配属された。
ここで輝美さんは宝塚音楽学校を受験する度胸と自分の力を疑わない思い込みの強さを発揮し契約件数トップに躍り出る。22歳にして月収も80万。しかし仕事と家の往復だけの毎日。深夜まで仕事。大きな結果は残せたがその代償は大きく、体調を崩すこととなった。
「仕事ばかりではダメだ。運動しなきゃならない」
輝美さんに休むという概念はなく、気分転換なのかリフレッシュなのか、とにかく身体を動かそうともう一度ダンスを始めた。そして、再燃した。
希望と挫折と回顧
会社を辞め、ニューヨークにダンス留学をしたのが25歳。周りの学生たちは18歳前後。しかも3~4歳の頃からダンスをしていた人ばかり。劣等感を覚えながらも輝美さんはダンスと向き合い続けた。
日本のダンスは上手なダンサーが前に立つ。あるいは長くやっている人が前に出る。そして皆、一律に動きを合わす。ところがアメリカは違う。より個性的なダンサーが目立ち、評価も高い。振りを間違えても気にせず踊る。劣等感に苛まれていた遅咲きのダンサーにとって、この留学はダンスの楽しさと自由さを知る絶好の機会となった。
日本に戻ってからはダンスを学びながらも、教える側へとシフトチェンジ。インストラクターとして経験を積んだ。
28歳で大阪に拠点を移した輝美さんは2009年、オールジャンルのダンス舞台を作った。一人のダンサーとして世のため人のために道徳的なメッセージを、ダンスを通して送りたい。セリフはなく、ジェスチャーとダンスだけでストーリーをつなぐ演出。その評判は良く、翌年2010年も開催され、2011年、震災の年は仙台でボランティア公演を行なった。
2018年、自身の主催のもと、大阪と東京でダンス公演を開催。かつての仲間や教え子にも出演を依頼した。インストラクターを初めてもう十年近くが経っている。教え子、仲間、それぞれが成長した姿をたくさんのファンが見てくれるだろう。そう予想していた。ところが現実はそう上手くは運ばない。
「都心とは少し離れたところで開催したんですけど、全然チケットが売れないんです。もちろんダンサーたちはみな優秀で、たくさんファンもいたんですけど、ダンス公演って年に何度もあるので、わざわざ都心を離れたところには見に行かないんです。少し待てばまた都心で踊りますから」
訪れたお客さんは東京、大阪の両会場で合計約700人。両方とも1000人規模の会場だったため、一会場350人程度の集客と結果は散々だった。
公演は大赤字。500万円の借金を背負った。ただ、それ以上にお客さんのいないところでダンサーを躍らせてしまった罪悪感が輝美さんの心を追い詰めた。
私は本当は何がしたくてこうなったんだろう。そう自問自答する中で、幼い頃の夢を思い出した。
小学校3年生の時、「絶対無敵ライジンオー」というテレビアニメが放映された。陽昇学園5年3組全員が地球防衛組となってロボットを操縦し、悪と戦う物語。
ヒーローは少人数というそれまでの概念を破り、クラス全員がヒーローという展開に衝撃を受けた。この世界なら全員で世界平和を作れる。その感動が世界平和を切望するPLの教えと相まって幼心を刺激した。
この世界に生きたい—。
声優になればこの世界に浸ることができる—。
ずっと閉ざされていた記憶の扉が開いた。
そうだ。初めて持った夢は声優だった。ただ、特徴のない自分の声に自信が持てず、いつの間にか「できない」と決めつけていた。
でも、本当は何をしたかった? もし、今ある条件、環境、経験、全部なかったとしたら何がしたい? それで出てくる答えがあるのなら、何の言い訳もせずやってやる!
40歳の春、輝美さんは声優学校に入学した。
人生は芸術
今まではセリフなしでダンスのパフォーマンスをしてきたが、声優はもちろんセリフありきの世界だ。声優学校で芝居を学んだ。言葉の演出も学んだ。そして自分がしたいことがやはり「表現」なのだと確信する。インドで聞いた歌や音楽も、自分がしてきたダンスも、そして今一生懸命になっている声も、すべて表現の一つの手段。どれもこれも楽しみたい。
2022年5月。唄って踊って芝居をする舞台を作った。自分には唄がある、踊りがある、言葉がある。自身の得意な「表現方法」を駆使した一人七役の大舞台。たった一人で、唄い、踊り、叫び、演じた。
客席は満員だった。
2021年は昭和歌謡尽くしの公演「田園ユニバース」をプロデュース。昭和生まれのダンサーだけを集め、それぞれにセリフを当ててダンスと歌で繋いでいく。初めて台本にも挑戦し、確かな手応えを感じた。昭和生まれの大阪人なら知っているであろう「味園ユニバース」をもじった「田園ユニバース」は大盛況で、2023年12月にも行なわれる予定だ。
2023年9月1日には自分で作詞した「廻律歌」をSpotify®にてリリース。歌手活動もスタートさせた。
「今まで人の目や、周りのダンサー達の目を気にしてきました。でも本当に影響力のある人はそうではないんですね。周りの目を気にせず、自分の夢を叶える人が本当に影響力のある人なんです。私が唄うこともそうですし、田園ユニバースで65歳のダンサーが踊るのだってそう。『この人にできるなら私にもできるんじゃないか』とお客さんに何かしらの影響、希望を持ってもらいたいと思ってやってます」
声優学校に入学した際、なぜ入学したのかと聞かれたときに彼女はこう答えた。
「自分平和が世界平和だと思ったからです」
彼女は生まれながらの【表現者】だ。常識やプレッシャーに抑えつけられるのではなく、心の平穏のため、自分自身がしたいことをする。表現したいことを表現する。それを見た周りが彼女に影響を受け、それぞれが自分のしたいことを見つけて挑戦する。世の中の全員がしたいことに恐れずに挑戦していく。それが彼女の望む【世界平和】。
次の目標は2025年までに行なう「覚醒ライブ」。自身がプロデューサーとなり、演者となり、自分やメンバーの個性を極限まで活かしたパフォーマンス=表現を目指す。
「才能の蓋と、感情の蓋は同じものだと思っています。感情は個々の才能であり、芸術ですから蓋をしちゃいけないんです。ダンス、芝居、唄、音楽。感情を何で表現するかは自由です。その時、その人の個性に合わせて、最大限才能を発揮できるステージをこれからも作り続けますし、自分でも表現し続けます」
取材を終え、執筆のためにPL教を調べたとき、以下の文言が出てきた。
自分の作った芸術作品が、心のこもらない、いい加減な作品だったとしたら、満足のいくものとはならないでしょう。
それと同様に毎日の生活が、心のこもらないものであったとしたら、自分の日常生活は、満足のいくものとはならないでしょう。
あなたの人生は自分の芸術作品です。たとえどんな些細なことであっても、自己を表現する人生の1コマ、芸術作品の1コマであると思って日常生活のひとつひとつの表現に誠を込める、心を込めていくと、あなたの表現には「自己表現の美しさ」が現れてくるのです。そのような毎日を送ることで、あなたは自分を表現する喜びに満ち溢れた生活を送ることができ、人生を芸術することになるのです。※PL教のHPから抜粋
読み終えたあと、不思議とまた彼女に会いたくなった。
Artshand(アーツハンド)
思い込みは世界を救う!
西郷輝美(さいごう えみ)